さて、私たちは比較的順境な環境、つまり仕事も収入も安定し、人間関係や家庭生活、健康も良好で、生きることに比較的満足できている時は、因果の道理に別段、不審を抱くことはない。
善因善果 自因自果。あったりまえだろ、くらいに思うのである。
問題はその逆の場合である。
人生には予想だにしない不幸が、津波のように襲ってくることがある。
そういう時は、自分をこんな目に合わせたのは誰かと探し回り、その相手に怒り、憎しみ、うらみつらみの石つぶてを投げつけずにおれなくなってくる。どうして悪因悪果 自因自果だなどと容認できようか。
都合のいい時は自分のせい。都合に反すれば他人のせい。それが悲しいかな私たちの実態である。
だが、我々の感情からすればそうであっても、事実はどうなのか?
いささか古い話になるが、2年前、ある遊園地のジェットコースターが事故を起こし、死者1名、重軽傷者19名を出したことがあった。亡くなられた方は若い女性で、しかもコースターと手すりに挟まれ、首がちぎれるという悲惨な現場であったらしい。
こういう場合、必ず記者会見が開かれ、遊園地側の責任者が出ていかざるを得ない。
ここで聞かれることは決まっていて、「なぜこの事故はおきたのか」という一点に集中する。
もしこの時、責任者が、
「今回の事故は、偶然、起きました」だとか、
「いやー、たまたま、だったんですねえ」
というような発言をしたらどうだろう。
なに馬鹿なこと言ってんだコイツ、原因がないわけないだろ!「偶然」とか「たまたま」で誤魔化すな!と怒り心頭となるのではなかろうか?
事実、原因がなければ事故は発生しようがない。どんな結果にも原因がある。それはだれしも認めることだ。
だから当然、現場では徹底した事故原因が究明されるが、報道によれば、あの事故の原因は、車軸の破損による脱線で、それは管理者の点検不良によるものだったらしい。
一応それでこの事件は一件落着した。
だが、果たして遺族はそれでスッキリしただろうか?と思うのである。
何がスッキリしないのだろうか。
それは、なぜ事故の当事者がその女性だったのか?なぜ他の人ではなかったのか?
という点なのである。