因果についての考察

因果律、因果応報とは?

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和顔愛語

たくみ 6月-30-2009

仏教に「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉があります。
「和顔」は、和やかな、やわらかな笑顔のこと。「愛語」は、やさしい言葉を意味します。つまり、この言葉には「相手の立場を思いやり、やわらかな表情でやさしい言葉で語りかけること」いう意味があります。

笑顔でやさしい言葉を人に与えることが「布施」になるという教えです。
布施は金品でなければならないとお考えの方もいらっしゃると思いますが、そんなことはありません。思いやりの心で相手に奉仕し、喜びを与えることが布施なのです。

「笑う門には福来る」
という言葉もありますが、笑顔でいることが幸せを招くということですね。これも「因果の道理」の教えです。
いい種を蒔けば、いい果がなるという因果の道理(善因善果、自因自果)の教えが根底にあると親鸞会では教えられています。

一般に「因果応報」と言うと、とかく悪いことをすれば悪いことが身に降りかかるという因果の道理のネガティブな面を強調してしまいがちですが、お釈迦様の発見された「因果の道理」には、いい種を蒔けばいい果がなるというポジティブな面も同様にあるのです。

「因果の道理」の自因自果とは、自分の蒔いた種は自分に返るという教えです。
相手を思いやる心でもって人に笑顔で接し、やさしい言葉をかけることによって布施となる。そしてそれは因果の道理によって、自分に感謝となって返ってくるということをおっしゃっているのではないでしょうか。

愚痴

たくみ 6月-14-2009

浄土真宗親鸞会で「因果の道理」を題材に話されている法話がありましたので、ご紹介させていただきます。

『世間ではよく、「愚痴をこぼす」「愚痴っぽい」「愚痴る」などといわれる。
「愚痴をこぼす」は、いっても甲斐のないことをいって嘆くことであり、それをいつもくり返す人が愚痴っぽい人である。
愚も馬鹿なら、痴も知恵が病気にかかっている字だから、同じくおろかで、ものの道理に暗いこと。

因果の道理(自因自果)とは思えないから、
「こんなはずではなかったに」
と、不平で世の中を呪い、ネタミとウラミで何度でも同じことをくり返しているから、感謝することを知らない。

俗に、
「隣の貧乏、雁の味」
「近頃は悪しくなりにけり、隣に倉が建ちしよりのち」
といわれるのも、愚痴から起こる悲しきネタミである。

同等の貧乏人が、一方は幸福が続いて、家も新築し倉まで造って旦那となり、一方は、相変わらずの不幸続きに子だくさんでうだつが上がらないから、隣が癪のタネになる。

心ひそかに、隣に何か腰の折れるような災難がおきればよいが、火事でもあったらよいがなあ、と祈っている悪魔の心がひそんでいる。

立派に成功したのも、貧乏が続くのも自業自得の道理。
愚痴で因果の道理が分からないから、馬鹿な心が出てくるのである。

一切の人の不幸を見ては冷笑し、禍いを聞いては横手を打って喜ぶ。
他人の名誉を憎み、友人の出世を怨み、人の不幸を楽しむ心はあっても、泣き悲しむ心はないではないか。ネタミ、ソネミ、ニクシミ、ウラミの醜い心が愚痴である。

なお、仏教では、貪欲(欲)瞋恚(怒り)と共に、三毒の煩悩の一つに挙げられている。
底の知れない欲の心が青い龍、火の玉のように吹き上げてくる怒りの心は赤い龍に例えられ、愚痴のいやらしい心は黒い龍、畜生界に堕ちる業といわれる。』

(浄土真宗親鸞会の資料より)