因果についての考察

因果律、因果応報とは?

Archive for 5月, 2009

因果応報なのか?

たくみ 5月-27-2009

社会が乱れ、政治が乱れ、経済が乱れ・・・現代は生きにくい時代だといわれます。
インターネットに溢れる自殺サイトに若者が興味本位に訪れ、テレビニュースでは親殺し、子殺し、無差別殺人の報道が後を絶ちません。自らの命、親の命、子供の命、他人の命、全ての命が危険に脅かされている時代と言えるかもしれません。

「因果応報」という言葉があります。
「悪い行いは、悪い結果となって自分にふりかかる」という意味です。同じ意味の言葉で「自業自得」という言葉もあります。現在の悪い結果は、過去に悪い原因を作っている自分のせいだということ。

今、世間に溢れる事件や事故は「因果応報」なのでしょうか。
生きにくい世の中を儚んで、自ら命を絶ち、無間地獄に堕ちてしまうのはなんの因果なのでしょうか・・・。
地獄極楽といいますが、地獄に行くのか、それとも極楽浄土に行けるのか、を分けるものは何なのでしょうか。

「因果の道理」は仏教の根本原理だとご紹介しました。
その因果は複雑に絡み合っているのです。ひとつの結果には、いくつもの因縁が複雑に絡み合っていると教えるのが仏教の「因果の道理」なのです。

とかく現代人は、たったひとつの原因で、結果が生じると思いがちですが、そのようなことはありません。仏教では、複雑な因縁によって結果が生じているのだと教えられています。
「今の不幸はなんの因果か・・・」という悩みは、ひとつの原因を探す現代人の無智が原因とも言えそうです。

来し方行く末

たくみ 5月-5-2009

前回、「三世因果」というお釈迦様の教えの根幹を簡単にご紹介しました。
この三世とは、過去世、現在世、未来世のことだとお伝えしましたが、そうした言葉によくにた言葉に「来し方行く末(こしかたゆくすえ)」というのがあります。

この言葉の「行く末」というのは、日常会話にも多く使われています。
例えば、「この子の行く末が心配・・・」とか、「行く末を悲観して・・・」などと、将来のことを指す言葉として使われます。人間が生きてきて、現在から、過去(来し方)と未来(行く末)を考えるときなどに使用されてきました。

つまり行く末を考えるときには、現在のことも過去のことも合わせて考える、影響していると考える言葉だと思います。このことは「三世因果」という教えにもつながるのではないでしょうか。

「自分探し」というと、今ではない未来の自分を探すようなイメージがありますが、「三世因果」の教えにもあるように、過去を知りたければ現在を見よ、未来を知りたければ同じく現在を見よ、現在とは悠久の過去と永遠の未来とを包含しているものだということを思い出して欲しいと思います。

将来のことばかりを考えて、今が疎かになる、過去に囚われて今がなくなってしまう・・・そんな現代人が増えているのかもしれません。生きるとは、「今」を生きることに他なりません。なぜ生きるのか、今を生きる私への問いでありましょう。生きる目的がわからずしては、生きがいも虚しいものとなってしまいます。「因果の道理」によって、「今」の大切さを知り、現在の自己を見つめることが大切ではないでしょうか。