浄土真宗親鸞会で「因果の道理」を題材に話されている法話がありましたので、ご紹介させていただきます。
『世間ではよく、「愚痴をこぼす」「愚痴っぽい」「愚痴る」などといわれる。
「愚痴をこぼす」は、いっても甲斐のないことをいって嘆くことであり、それをいつもくり返す人が愚痴っぽい人である。
愚も馬鹿なら、痴も知恵が病気にかかっている字だから、同じくおろかで、ものの道理に暗いこと。
因果の道理(自因自果)とは思えないから、
「こんなはずではなかったに」
と、不平で世の中を呪い、ネタミとウラミで何度でも同じことをくり返しているから、感謝することを知らない。
俗に、
「隣の貧乏、雁の味」
「近頃は悪しくなりにけり、隣に倉が建ちしよりのち」
といわれるのも、愚痴から起こる悲しきネタミである。
同等の貧乏人が、一方は幸福が続いて、家も新築し倉まで造って旦那となり、一方は、相変わらずの不幸続きに子だくさんでうだつが上がらないから、隣が癪のタネになる。
心ひそかに、隣に何か腰の折れるような災難がおきればよいが、火事でもあったらよいがなあ、と祈っている悪魔の心がひそんでいる。
立派に成功したのも、貧乏が続くのも自業自得の道理。
愚痴で因果の道理が分からないから、馬鹿な心が出てくるのである。
一切の人の不幸を見ては冷笑し、禍いを聞いては横手を打って喜ぶ。
他人の名誉を憎み、友人の出世を怨み、人の不幸を楽しむ心はあっても、泣き悲しむ心はないではないか。ネタミ、ソネミ、ニクシミ、ウラミの醜い心が愚痴である。
なお、仏教では、貪欲(欲)瞋恚(怒り)と共に、三毒の煩悩の一つに挙げられている。
底の知れない欲の心が青い龍、火の玉のように吹き上げてくる怒りの心は赤い龍に例えられ、愚痴のいやらしい心は黒い龍、畜生界に堕ちる業といわれる。』
(浄土真宗親鸞会の資料より)