因果についての考察

因果律、因果応報とは?

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情けは人のためならず

たくみ 7月-14-2009

よく使われる言葉に「情けは人のためならず」というものがあります。
中には勘違いして、「親切(情け)はその人のためにならない」と覚えている人もいるかもしれませんが、本来の意味は「人に親切にすれば、その人(相手)のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる」という意味です。

つまり、お釈迦様の教えられた「因果の道理」がここにもあるのです。
善因善果、悪因悪果、自因自果という因果の道理の教えをここでも学ぶことが出来ます。

また、浄土真宗親鸞会では「自利利他(じりりた)」という言葉が紹介されています。
「善いことをすれば幸せに、悪いことをすれば不幸になる。自分の行いが、幸不幸の運命をつくる」という因果の道理。

自分さえ良ければいい、という「我利我利(がりがり)」の考えでは自分が不幸になってしまう。
相手の立場に立って心を配って、互いに気持ちよく接することができる「自利自他」という考えが、皆を幸せにするという因果の道理をお釈迦様は教えられたのです。

悪をやめて善いことをしなさい、と教えられたお釈迦様の真意は皆が幸福になれる道を説かれたのです。
因果の道理は、とかく「因果応報」、「自業自得」と言われ、悪事を戒める言葉として教えられていますが、お釈迦様が説かれた「因果」とは、皆を幸福にする真理を教えられた素晴らしい教えなのです。

「因果」とは、「原因と結果」とも言われますが、「因果の道理」を説かれたのは、全ての人を本当の幸せに導くぞ!というお釈迦様の確固たる決意が感じられる教えなのではないでしょうか。

愚痴

たくみ 6月-14-2009

浄土真宗親鸞会で「因果の道理」を題材に話されている法話がありましたので、ご紹介させていただきます。

『世間ではよく、「愚痴をこぼす」「愚痴っぽい」「愚痴る」などといわれる。
「愚痴をこぼす」は、いっても甲斐のないことをいって嘆くことであり、それをいつもくり返す人が愚痴っぽい人である。
愚も馬鹿なら、痴も知恵が病気にかかっている字だから、同じくおろかで、ものの道理に暗いこと。

因果の道理(自因自果)とは思えないから、
「こんなはずではなかったに」
と、不平で世の中を呪い、ネタミとウラミで何度でも同じことをくり返しているから、感謝することを知らない。

俗に、
「隣の貧乏、雁の味」
「近頃は悪しくなりにけり、隣に倉が建ちしよりのち」
といわれるのも、愚痴から起こる悲しきネタミである。

同等の貧乏人が、一方は幸福が続いて、家も新築し倉まで造って旦那となり、一方は、相変わらずの不幸続きに子だくさんでうだつが上がらないから、隣が癪のタネになる。

心ひそかに、隣に何か腰の折れるような災難がおきればよいが、火事でもあったらよいがなあ、と祈っている悪魔の心がひそんでいる。

立派に成功したのも、貧乏が続くのも自業自得の道理。
愚痴で因果の道理が分からないから、馬鹿な心が出てくるのである。

一切の人の不幸を見ては冷笑し、禍いを聞いては横手を打って喜ぶ。
他人の名誉を憎み、友人の出世を怨み、人の不幸を楽しむ心はあっても、泣き悲しむ心はないではないか。ネタミ、ソネミ、ニクシミ、ウラミの醜い心が愚痴である。

なお、仏教では、貪欲(欲)瞋恚(怒り)と共に、三毒の煩悩の一つに挙げられている。
底の知れない欲の心が青い龍、火の玉のように吹き上げてくる怒りの心は赤い龍に例えられ、愚痴のいやらしい心は黒い龍、畜生界に堕ちる業といわれる。』

(浄土真宗親鸞会の資料より)

来し方行く末

たくみ 5月-5-2009

前回、「三世因果」というお釈迦様の教えの根幹を簡単にご紹介しました。
この三世とは、過去世、現在世、未来世のことだとお伝えしましたが、そうした言葉によくにた言葉に「来し方行く末(こしかたゆくすえ)」というのがあります。

この言葉の「行く末」というのは、日常会話にも多く使われています。
例えば、「この子の行く末が心配・・・」とか、「行く末を悲観して・・・」などと、将来のことを指す言葉として使われます。人間が生きてきて、現在から、過去(来し方)と未来(行く末)を考えるときなどに使用されてきました。

つまり行く末を考えるときには、現在のことも過去のことも合わせて考える、影響していると考える言葉だと思います。このことは「三世因果」という教えにもつながるのではないでしょうか。

「自分探し」というと、今ではない未来の自分を探すようなイメージがありますが、「三世因果」の教えにもあるように、過去を知りたければ現在を見よ、未来を知りたければ同じく現在を見よ、現在とは悠久の過去と永遠の未来とを包含しているものだということを思い出して欲しいと思います。

将来のことばかりを考えて、今が疎かになる、過去に囚われて今がなくなってしまう・・・そんな現代人が増えているのかもしれません。生きるとは、「今」を生きることに他なりません。なぜ生きるのか、今を生きる私への問いでありましょう。生きる目的がわからずしては、生きがいも虚しいものとなってしまいます。「因果の道理」によって、「今」の大切さを知り、現在の自己を見つめることが大切ではないでしょうか。

因果律とは?

たくみ 1月-5-2009

「因果律」という言葉をお聞きになった方はいらっしゃるでしょうか。
普通に「因果関係がある」とか、「親の因果が子に報い」など日常会話にも出てくる「因果」という言葉。

少し詳しくご紹介すると、因果とはもともと仏教用語のことであり、「因」は原因、「果」は結果のことを指します。
一般的に使われる「因果応報」とは、「善い行いをすれば、善い報いが返り、悪い行いをすれば、悪い報いが返る」という意味で使われ、主に後者の「悪行は必ず裁かれる」という意味で使用されることが多いです。

しかし、「因果律」と言った場合には、科学的・哲学的用語として使われます。
因果律とは、いかなる事象も時間的に過去に起こった事を原因として起こるのであって、少なくとも未来の事象を原因としてそれよりも過去の何らかの事象が起こる、という事はないという立場をとる考えを言います。

ある事象が「原因」となってある事象が「結果」となって引き起こされると通常は考えられていますが、もともとの仏教の教えでは、そこに「縁(えん)」というものが絡むと教えています。

お釈迦様は「すべてのものは因と縁が結びついて生じる」と教えられました。花は種をまかなければ芽はでません。花が「結果」で、芽が「原因」ですが、芽が育つ為には水や空気が必要になりますが、この水や空気が「縁」にあたります。