善因善果、悪因悪果、自因自果について話をしています。
ここで「因」というのは、行い、行為のことです。
仏教では行いのことを「業(ごう)」といいます。
この業に三通りあるので、これを三業といいます。
三業とは、
身体の行い 身業
口の行い 口業
心の行い 意業
のことで、心口意の三業とも言われます。
普通、行いといったら身体の行いしか思い浮かばないかも知れませんが、
口でしゃべるのは、口の行い。
心で思うのは、心の行い。
このことは親鸞会で分かりやすく話がなされていました。
ここで「因」というのは、行い、行為のことです。
仏教では行いのことを「業(ごう)」といいます。
この業に三通りあるので、これを三業といいます。
三業とは、
身体の行い 身業
口の行い 口業
心の行い 意業
のことで、心口意の三業とも言われます。
普通、行いといったら身体の行いしか思い浮かばないかも知れませんが、
口でしゃべるのは、口の行い。
心で思うのは、心の行い。
このことは親鸞会で分かりやすく話がなされていました。
因果の道理の、善因善果、悪因悪果、自因自果について話をしていました
ここで、因というのは行為、果というのは運命のことです。
仏教ではどんな結果にも必ず原因がある、原因なしにおきる結果は万に一つ、億に一つない、と教えられ、
運命という結果は、行為という原因によって決まると説かれています。
ですから、善い行いをすれば、善い運命がやってくるし、
悪い行いをすれば、悪い運命がやってくる、ということです。
善い運命も、悪い運命も、すべて自分の行為によって決まる、
これが自因自果ということです。
悪い結果が返ってきたときに、他人のせいにするのは間違いですし、
他人に善い結果があらわれたのは、その人が蒔いた種のあわられですから、
よくそのことを知っておかねばなりません。
この因果の道理が分からないと、親鸞聖人の教えもわかりません。
そのことについて、親鸞会という親鸞聖人の教えを伝える集まりで
詳しく教えられています。
「道理」とは、いつでもどこでも変わらない真理のことです。
仏教には、そんないつでどこでも変わらない事実が教えられています。
その道理とは、善因善果、悪因悪果、自因自果です。
良い原因には、良い結果
悪い原因には、悪い結果が返ってきます。
それはちょうど、ダイコンの種を蒔けばダイコンが生え
スイカのタネを蒔けば、スイカが生えてきます。
ダイコンのタネを蒔いて、スイカが生えることはありませんし、
スイカの種を蒔いて、ダイコンができてくることもありません。
タネに応じた結果しか生えてはこないのです。
「道理」とは、真理のことです。
仏教で、 真理とは、三世十方を貫くものをいいます。
三世とは、過去世、現在世、未来世、ということで「いつでも」ということです
十方とは、東西南北上下四惟ということで「どこでも」ということです。
日本でも、中国でもインドでも、どこでも変わらないもの、正しいものが道理です。
日本では正しいと言われていても、アメリカに行くと間違いになる、そういうものは
道理とはいいません。
この因果の道理については、親鸞会という、親鸞聖人の教えを忠実に教えられている集まりで詳しく教えられています。
道理とは、真理ということです。
真理とは、仏教で三世十方を貫くものをいいます。
三世とは、過去世、現在世、未来世、ということで「いつでも」ということです。
2600年前も現代も、これからも、変わらないものを「三世を貫く」といいます。
昔は正しいと言われていたことも、現代では間違いとされる、そういうものは道理とは言われません。
今は正しくても、これから間違いとなるものもまた、道理とは言われません。
いつの時代も変わらないことが道理なのです。
どんな小さな結果にも必ず原因があります。
財布を落とした、という結果でも、ボーッとあるいていたからとか、
ポケットに穴があいていたとか、必ず原因があります。
石につまずいて転んで怪我をしたといっても必ず原因があってのことなのです。
原因なしに結果がおきるということは、万に一つ、億に一つありません。
どんな原因にも結果がある。
結果があらわれたということは必ず原因があったということ。
平たい言葉で言えば、蒔かぬ種は生えませんが、
蒔いた種は必ず生える、ということです。
もちろん、原因が分からないということはあります。
たとえば、飛行機が墜落して太平洋の奥深く沈んでしまった。
こうなれば、墜落の原因を調べることは困難です。
ですが、原因なくして墜落という結果は落ちません。
エンジンが故障したとか、乱気流に巻き込まれたとか、
必ず原因があってのことです。
このことは浄土真宗親鸞会で、詳しく教えられています。
因果の道理の「因果」とは原因と結果のことだと前回お話しました。
どんな結果にも必ず原因がある。
原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つないのです。
ひらたい言葉でいえば、蒔かぬ種は生えませんが、蒔いた種は必ず生える、ということです。
科学でも医学でも経済でも、すべての営みは、この原因と結果の関係から研究され、改善しようと取り組まれています。
人間の根底にあるべき問題ですが、仏教では、その原因と結果の関係が根幹となっているのです。
因果の道理の基礎から書きたいと思います。
因とは、原因
果とは、結果
ということ。
原因なしに結果は生じないが
原因があれば必ず生える
平たいことばでいえば、蒔かぬ種は生えないが、蒔いた種は必ず生える、ということ。
これには、万に人つ、億に一つ、例外がないのです。
この「因果」ということが仏教の根っこにあります。
因果応報とは、因果の道理とも言われます。
親鸞会という浄土真宗の教えを丁寧に伝える集まりから聞いた話を書いていきます。
因果の道理は仏教の根幹と言われます。
根幹とは、根っこであり、幹である、ということです。
根っこがなければ木は枯れてしまいますし、幹を切ったら木は倒れてしまいます。
ですから因果の道理が分からないと、仏教は一切分からないのです。